Introductionイヴォ・ピタンギ教授 Introduction: クリニカ・イヴォ・ピタンギ
Introduction: ジゼラ・ピタンギ博士
イヴォ・ヘルシオ・ハルディム・デ・カンポス・ピタンギ氏(イヴォ・ピタンギ教授)は、ブラジル、ミナスゲライス州のベロ・ホリゾンテ市出身。外科医であった父親の足跡をたどり、自然に医学の道を志し、リオ・デ・ジャネイロ大学の医学部を卒業。その後も外科医となるため、欧米、特にフランスと英国で学びました。
ブラジルに帰国後、リオ・デ・ジャネイロにあるサンタ・カーザ総合病院の第19クリニックで、国内初の「手」専門の外科医院を創設。また、スーザアグイア病院の火傷と再生外科部の指揮を執りました。その後、サンタ・カーザ総合病院の第18クリニック(後の第38クリニック)の形成外科部も創設。現在も責任者として指揮を執っています。
1961年、グラン・シルコ・ノルテ・アメリカーノで起きた悲劇的な火事で100人もの負傷者が発生。重度の火傷患者が多い不幸な事故のなか、イヴォ・ピタンギ氏は、その才能を余すところなく発揮、不眠不休で患者に尽くし、アントニオ・ペドロ病院内の重度火傷部門を率先して指揮しました。そして、1963年に自身のクリニック、「クリニカ・イヴォ・ピタンギ」を設立。
美容外科のパイオニアとして精力的に活躍するイヴォ・ピタンギ教授は、熱心な教育者でもあります。世界中を回り、各地の大学で何千人もの医師達に講義を行いその知識・技術を余すところなく披露。45年以上の輝かしいキャリアの中で、各国の専門外科医500人以上を養成、また今日までクリニックに派遣された医師やアシスタントは5000人以上にものぼります。また、1000以上の専門レポートを著し、3000以上もの講演、多くの著書を執筆。「美容整形外科の父」と称されるピタンギ教授の才能は、世界中の数多くの名だたる大学でその栄誉を称えられています。 |
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「社会的地位・貧富の差の分け隔てなく、みな平等に。」との哲学から、1960年にHumanitarian Institutionをサンタ・カーザ第38クリニックに創設。人道支援を行う機関として、金銭的に恵まれない人々にも修復外科治療を受けられるような環境をつくり、40年以上もの間にわたり、最も貧しい人々にも無償で手術を行っています。こうした献身的な行為によって教授は多くの貧しい人々から感謝されるだけでなく、権威ある多くの賞を受けました。
地球市民としての責任。教授はもし人類の現在が最優先されるべきだとすれば、その未来についても同様だと考え、地球の未来について熱心に擁護をし、環境保護に積極的に参加しています。リオ・デ・ジャネイロ州の南に位置する島、イラ・ドス・ポルス・グランデに、教授自身が深い愛着を持っているこの地方の動植物を保護するための聖域を作りました。
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